Story & Introduce

Story

1945年8月9日11時2分、広島に続き長崎にも原爆が投下された。
多くの犠牲者が出た惨劇であったが、生存した者たちも多くいる。
その惨劇の中で、永井隆と一緒に救護活動を行った者も健在である。
しかし年月とともに彼女にも変化が…。
 
終戦直後、家にアメリカ兵が立ち寄ってきて、オルガンを弾くように言われ演奏していた少年。毎日のように彼らはやってきて歌うのは「きよしこの夜」だった。いつしか彼らとのコニュニティーが出来上がり、ある将官がついに妹を自分の娘にしたいと。
その少年だった武立は、その思いを今に蘇らせるために向かった先は、とある教会である。
 
未だに被爆体験を話してこなかった被爆者がいる。
風化されつつある原爆の事実が、ある家族のやり取りでも見られた。
団らんの中、原爆を知らない親戚に「当事者の気持ちがわからんか!」と叱責したことを思い出す被爆者もいる。
 
そして「皆に支えられて生きてきた」と言う者も多くいる。
差別や偏見がある一方、支え合う人々の思いも存在し、それぞれの生きてきた思いを綴る。

永井隆先生

Introduce
 
世界情勢が急速に冷え込んでいっている今、再び核兵器の使用がほのめかされている。
多くの犠牲者が出た長崎、広島への原爆投下から77年が経ち、それを忘れたかのごとく同じ過ちを繰り返そうとしてる。
人類は学ぶことをしないのか…。
 
本作は、前作「a hope of NAGASAKI 優しい人たち」に続く、長崎被爆者の証言を集めたオーラルヒストリー・ドキュメンタリーの第二作目である。
 
「長崎の鐘」の作者でもあり、医学博士の永井隆は長崎を代表する偉人である。それは自身も被爆しながらも多くの長崎市民を救護し、たくさんの命を救ってきたことを長崎の人々が忘れないでいるからだ。その永井と共に活動をしていた、または助けられた当時の永井を知る人を探し出すのが非常に難しかった。当時10才以上の者でなければ関わった記憶を辿ることが厳しく、76年(取材時)の年月の流れを考えると、90才近くの方を探さなくてはならない。しかもゆかりを求めるとさらに厳しい。昨年暮れに亡くなられた方の情報は取れたが…。
時間ばかりが過ぎていったある日、当時一緒に救護活動をしていたある少女(当時)の情報が…。
 
また「a hope of NAGASAKI 優しい人たち」でアメリカ兵との出来事を語った思い出を再現。オルガンに向き合い、思い出の「きよしこの夜」を弾いた時、彼が思ったことは…。
 
壮絶な被爆を体験しながら、今も力強く生きている彼ら、彼女たちの力とは。
様々な課題で生きる力を削がれていく人々が増える今の世の中に、被爆者の「生きる」力と思いを届けます。
 
また本作「生きる FROM NAGASAKI」、先駆けて8月5日に公開される広島被爆者オーラルヒストリードキュメンタリー映画「for you 人のために」の主題歌「エレジー」を、BONNIE PINKが書き下ろした。様々な思いを感じながら、そして受け継いでいかなくてはならない思いを歌にした。シングルとしてデジタル配信される。

そして長崎を代表する高原至氏をはじめとした写真家たちが撮った、戦後の長崎の歩みが蘇る写真58点も登場する。写真から見える、そこにあった生きる力…。
 
エグゼクティブ・プロデューサーに食作家の園山真希絵を迎える。永井隆と同郷(島根県)であり、前作「a hope of NAGASAKI 優しい人たち」にも強く共感し、平和への想いを広く伝える。
 
今まで見えなかった、触れることがなかった、知ることもなかった社会課題を映画・音楽を通して見つめる、触れることで共に解決方法を見いだせたらという思いで、社会課題にフォーカスして映画化していくSDGsシェアプロジェクトの第三弾作品です。課題の本質を見出し、少しでも解決へ向かえるように作品化して共有(シェア)していくプロジェクトです。